別府温泉郷のひとつ「浜脇東温泉」の女湯。
明治時代の絵はがきから

 明治期になると、箱根(神奈川県)や雲仙(長崎県)に代表されるように、外国人のヴァカンス客を意識した温泉宿のリゾートホテル化、政府要人や財界人の別荘地となった熱海(静岡県)や別府(大分県)などの観光温泉地化が進む。  しかし一方で、明治政府の招聘で来日したドイツ人医学者ベルツらにより、温泉療法の医学的・生理学的な研究も進んだ。そして温泉の医学的利用は戦争と密接な関わりをもって発展したこともあり、戦争の勃発とともに、軍の療養施設や大学病院の臨床研究機関が次々と開設された。



大正時代の雲仙は、外国人向けの保養地であった。
当時の旅行パンフレットから


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鹿児島大学病院「霧島温泉療養所」で
行なわれた入浴患者の腹部診察。
同所は現在の鹿児島大学医学部
付属病院リハビリセンターの前身。
これは、昭和初期頃と思われる

 戦後になると、高度成長期には大衆レジャーとして、一泊二食宴会型温泉が定着した。昼間は観光やスポーツを楽しみ、夜はのんびり温泉につかった後、山海の珍味を肴に杯を傾けて楽しい宴会というパターンで、入浴の楽しみもさることながら、その前後の楽しみの比率が大きかった。ホテルは巨大化し、宿を一歩も出ない客が多くなるにつれて湯の町の情緒は失われ、環境の悪化が進んだ。
 しかし、現代の温泉人気は健康志向から自然への回帰が求められ、露天風呂で自然と一体になってゆったりとお湯そのものを楽しむという方向に変わってきた。また、歴史・文化や自然環境をふまえた個性的な町並みや風景など、温泉地そのものが観光目的ともなってきた。
 そして今また見直されているのが、現代人の多くが抱えるストレスや成人病などの疾患を癒す「湯治場」としての機能である。国の方針のもと、長期滞在者のための療養施設の充実、費用を医療控除の対象とする制度なども整えられつつある。高齢化社会を迎える現在、温泉の未来はこのような問題を抜きには語れないであろう。