日本では、石器時代の遺跡から、当時すでに温泉が利用されてきた痕跡が発見されている。しかし、温泉が文献資料に表れるのは奈良時代からで、『古事記』『日本書紀』はもとより、各国の風土記にも登場する。
 たとえば、『出雲国風土記』には現在の玉造温泉(島根県)について述べられているが、朝廷に参内する際に温泉で禊ぎを行なったことや、人々から神の湯と崇められていたこと、老若男女が温泉に集って楽しくすごすようすなどが書かれている。また『日本書紀』は天皇が有馬温泉(兵庫県)や道後温泉(愛媛県)に行幸したことなどが記されている。

 わが国では古来、水辺は神聖な場所とされてきたが、とくに温泉は病気や怪我を癒す不思議な水として利用され、人々は畏敬の念を以て接してきた。それはやがて、神に対するものと同等の、信仰の対象へと昇華されていった。しかし仏教が伝来し、国家の統一も進んで行く過程で民間信仰の神は次第に整理され、温泉の神として大己貴命(おおなむちのみこと)や少名毘古神(すくなひこのかみ)が祀られるようになった。さらに仏教があまねく普及した10世紀ころには、医療の神である大国主命(おおくにぬしのみこと)の化身と考えられた薬師如来の信仰が盛んとなった。




大湯温泉の共同浴場「下の湯」の近くで見かけた薬師神社。
祭神は医療を司る薬師如来と、温泉を司る少名毘古那神。
言い伝えでは眼病に効くという


 そのほか、霊泉や秘湯の発見にまつわる伝説に猿や鶴や鹿などの動物が関係するのも、人間の理解を超えた自然への畏れのためであろう。また仏教では沐浴の功徳を説いているが、こうした理念を反映してか、行基や弘法大師といった高僧が発見したと伝えられる温泉も多い。
 平安時代は貴族を中心に温泉行が行なわれ、当時の『古今和歌集』などに各地の温泉を旅行した歌人の歌が数多く収められている。また中世から戦国時代にかけては、傷ついた武士の療養地ともなった。武田信玄の本拠地・甲府(山梨県)を中心に点在する「信玄の隠し湯」といわれる温泉では、信玄ばかりでなく配下の将兵たちも合戦の合間に湯治を行なったことが伝えられている。
 その後、湯治は一部の限られた特権階級の楽しみから一般庶民にも次第に広まり、土地の私有化とともに温泉経営は豪族や寺院の重要な収入源となった。