八坂神社と天王清水

 八坂神社は大宝3年(703)、京都の八坂神社から勧請したと伝えられている。沖ノ郷牛頭天王または大龍山祇園寺とも称した。神社の境内にある「天王清水」は、湧き水の豊富な中仙町の中でも特に水量が多く、清水地区にある数百町(一町=約1万弱)の田の水を賄ってきた。このため水を司る神、稲作の神として周辺農民から厚い信仰を集めていた。
 稲作のために必要不可欠なものは水である。水田をつくり、米を主食としてきた日本人の生活は、つねに水を中心とした共同体にあるといっても過言ではない。また水源を確保し、水利を管理することによって、共同体の絆も強くなったのである。水量豊かな天王清水が、いかに必要とされたか、想像に難くない。


Photo:Gensaku Izumiya

神社の入り口前にある天王清水。豊かだった水も、近頃は季節によって水位が著 しく下が ることがあるという

水神社と国宝鏡

 仙南村方面から角館六郷線を北上し、太田町との境・斉内川を渡ると中仙町に入る。やがて右手前方の田んぼの中に、こんもりとした森に囲まれた水神社が姿を現してくる。久しく忘れていた典型的な鎮守の森、日本の原風景のひとつがそこにある。
 水神社に祀られている「線刻千手観音等鏡像」は、秋田県で唯一、国宝に指定されている文化財である。延宝5年(1677)、水路を掘っている時に発見された白銅の八稜鏡であるが、秋田藩に差し出したところ、堰神として祀るようにと米三石、および社地を賜った。当時、開田のために大がかりな開堰工事が行なわれていたが、この作業中に発見されたため、堰の守り神、水の守護神となったものであろう。稲作に必要不可欠な水を確保するため、堰や溜め池、水路などの灌漑施設をつくるのも、当時は農民の仕事であったのだ。

Photo:Gensaku Izumiya
秋田県で唯一、国宝に指定されている「線刻千手観音等鏡像」(左)。毎年8月17 日が例大祭で、この日に限って一般公開される。上の写真は、まさに鏡がご開帳され場面。この日は、神官による祈祷と「巫女の舞い」「水神の舞い」「山の神舞い」などが行なわれる
 鏡は直径14.8センチ、厚さ6.6ミリ、重さ520グラム。鏨(たがね)で線刻された千手観音を中央に、左右には婆蘇仙、功徳天の像を配し、さらに守護神八体、観音八部衆を描いた精巧なものである。もともと二鏡あったうちのひとつを、坂上田村麻呂が東北地方へ出兵の時、守護神として持参したと伝えられている。平安時代、10世紀後半の優品である。
 社殿は、貞享2年(1685)に建立されたもので、積雪に耐えるよう高床式になっている。元禄9年(1696)、長床とよばれる前堂が建てられ、縁日などの時は氏子のコミュニケーションの場にもなった。参道には樹齢400年近い杉の老木が立ち並び、壮観である。

Photo:Demura Kouichi

Photo:Gensaku Izumiya
水神社の社殿外観(左)と額。
社殿は積雪に耐えるように高床式になっている

 水神社が知られるようになったのは、菅江真澄の著した『月の出羽路』に負うところが多い。真澄は佐竹藩より地誌編纂が許可されて以来、平鹿郡を調査したあと仙北郡の調査にかかり、当地の草薙喜平宅に三回ほど滞在した。水神社については、文政11年(1828)にその由来が記録されている。なお境内北側には、つぎのような菅江真澄の歌碑が建てられている。

いつ万代も 筆の命毛長らえて         
 かき長さばや 水くきの安斗    真澄


Photo:Tadahisa Sakurai

水神社境内に建てられた菅江真澄歌碑

● 高橋連司『水神社の周辺』を参考にして執筆