◆酒宴の作法―集団酒道  

我が国には昔から、集団酒道というものがあった。

「『主人設』(あるじもうけ)といって、主人が日常世話になっている人や使用人、親戚、友人、隣近所などを客人として迎えてもてなす習慣があった。(中略)その主人設が作法化されたの が、明治時代中期まで続いていた「廻り盃」という集団酒道である。その方法は大略次のような ものであった。

 主人を上座にして、客は左右二列に向かい合い膳の前に坐る。膳には小盃のほか肴が盛られている。

まず大盃に酒が注がれ、その酒で飲み廻す。最初は「お通し」または「順流れ」といって、上座から左右互い違いに盃が下がっていき、最後まで行くと今度は「上り盃」または「上げ酌」と いって下から上に廻し飲みしていく。

次はいよいよ本式の酒盛りである。主人側の接伴役には「おあえ」と称する酒の強い者があ てられ、主人に代わって客一人一人と小盃を飲みあかす。

 途中、「お肴舞」と称して唄や舞いを出し、主人、客ともにこれを鑑賞し、肴舞いが終わると、 今度は客同士が「せり盃」と称して飲み交わすのである。

 最後に主人が礼を述べ、宴は終わる。宴の司会進行役は「肴」と呼ばれる者があたるが、この 酒宴の意味するところは互いの礼儀と礼節、けじめを正し、より一層の連帯感を高めようとする ところにある」

(小泉武夫『日本酒ルネッサンス』中公新書)


◆お酌の美学  

 国会図書館で『酒譜』という本を見つけた。著者は西村文則、昭和7年啓松堂発行である。 酒道に関しての項があった。

 酒を盃に注ぐ作法として、「盃持つ人は、余りきぼいかかりたるも、又及び腰なるもわるし。よきほどに守るべし、見計らいが肝要なり。又盃の上を余り重く入る事第一の粗忽なり。特に酒などをいたす人に、深く重く入る事なるならず」とある。

 小生、国会議員秘書時代、赤坂の料亭のおかみから酌の仕方を習ったことがある。まず、お酌は相対する人にする。相手が右手で盃を持ったらお酌は右手、左手で持ったら左手で注ぐ。 クロスさせること。要するに「しぐさ」の美しさなのであった。

 ビール瓶は、音がよくないのでコップにつけて注いではいけない。日本酒は、お猪口に軽く徳利をつけて注いでよろしいとのことであった。

 ところが関西は違うらしい。京都・東山の料亭のおかみは言う。「うちらでは、東京とちごて盃に徳利をつけたりしまへん」。音をたてることことは、京都ではタブーなのである。

 野村万作さんのお弟子、中野三樹氏に話を聞くと、狂言の所作でも酒を注ぐとき、扇子(徳利に見立ててある)を盃につける事はしないという。

 秋田流酒道は、盃やコップに音をたてて酒を注がないことにしようか。