二ッ井を訪れた菅江真澄
Sugae Masumi's Visits to Futatsui

 菅江真澄は、享和2年より文化4年の間に四回二ッ井を訪れ、以下の記録を残している。
(1) 享和2年(1802) 49歳 「しげき山本」
(2) 文化元年(1804) 51歳 「阿仁の沢水」
  (絵図のみ。柳田国男は享和2年説)
(3) 文化2年(1805) 52歳 「みかべのよろい」
(4) 文化4年(1807) 54歳 「おがらのたき」

 菅江真澄が描いた風景と現在の写真を比較してみると、道路の整備状況や建物の数をはじめ、さまざまな点で隔世の感を禁じ得ないのであるが、米代川や七座山を中心とした風景を見る限り、眺望の変化、美しさはさほど失われていないことに感動を覚える。以下、実際に比較してみよう。

 Sugae Masumi visited Futatsui four times between 1802 and 1807, and left some travel notes and sketches. By comparing his sketches with present landscape photos, we can clearly see that there is little change in the beauty of the Futatsui's scenery.


[きみまち阪からの俯瞰]

 A bird's eye view from Kimimachi-zaka

 享和2年、太良鉱山へ向かった真澄は、現在のきみまち阪公園第二広場を横切り、高岩山 の神社に詣でている。この時の日記『しげき山本』に描かれているのがこの絵である。大きく迂 回する米代川と七座山の眺望は今日とまったく変わっていない。米代川に数ある観光ポイント のなかでも、パノラマヴューを堪能できる最高のスポットであろう。

 In 1802, Sugae Masumi visited Futatsui. He went across the present Kimimachi-zaka Park to make a pilgrimage to a shrine at Mt. Takaiwa. Sugae Masumi drew this picture in his travel notes. The meandering Yoneshiro-gawa River and Mt. Nanakura had exactly the same view as today.


Photo:Gensaku Izumiya

秋田県立博物館蔵
写真はきみまち阪から見た米代川。中央の七座山右手(西側)に見える町並み は、二ッ井 の市街地中心部。下の菅江真澄の描いた絵は、写真とほぼ同じアングルで見た風景