水辺の祭り「舟ッコ流し」
River Festival "Funekko-nagashi

 水のまち六郷を語るとき、「舟ッコ流し」を忘れてはならないだろう。毎年、8月最初の土曜・日曜、伊勢堂川(当地ではオセド川とも)で行なわれる七夕祭りのことである。大曲の「鹿島流し」や横手の「ねむり流し」との関連が指摘されるが、かつて豪商の川舟が往来繁き時の記憶を反映したもの、といわれ点が興味深い。六郷が商業的に発展していた享保年間、商人たちは川舟を利用し、角間川・雄物川を経由して秋田に出、北前船で大坂方面に商いに行ったとの記録もあり、それゆえ往事の様子をなぞらえたもの、という説はきわめて説得力がある。  しかし伝統ある祭りも、昭和の初めころから戦後にいたるまでながらく中断していたのであるが、昭和43年(1968)になってようやく復活を遂げた。しかし、そのとき残っていた「舟ッコ」はわずか二隻しかなかったという。現在の舟ッコは、二階造りのお堂がついた立派なものを、各町内がそれぞれに作ったものである。
 揃いの半天、浴衣姿の子供たちが、伊勢堂川を「ヤンセ、ヒヤホ、オセド(伊勢堂)の舟ッコ」の掛け声もにぎやかに舟ッコを引き回す様子は、夏を彩る水辺の風物詩として、今や欠かせぬものとなった。


Photo:Gensaku Izumiya

桐の葉にローソクをともした「精霊流し」。舟ッコ流しに先だって行なわれる

 
Photo:Gensaku Izumiya

夜の闇のなか、ゆらめく光が水面に映って美しい「舟ッコ流し」

 Every year a kind of Tanabata festival (the Star Festival) is held on the first Saturday and Sunday of August. Two-story shrines are installed on boats and led around the river accompanied by loud shouts. The boats are built by each neighborhood association and are artfully decorated by children. It is a summer event suitable for the town of clean water.

清水のある暮らし Life with Springs

 六郷の清水が全国的に知られるようになったのは、昭和60年(1985)、環境庁による「名水 百選」に選定されてからであろう。選定された名水は、いずれも水質、水量、保全状態にすぐ れ、また古くから地域の住民に親しまれてきたことが条件であったが、希少性、知名度、故事 来歴なども参考にされた。その点、六郷の清水は菅江真澄『月の出羽路』によって古くから紹 介され、その資格は充分にあったといえる。
 六郷の清水には、それぞれ名前が付けられているが、かなり個性的な名称も多い。そもそも六郷という地名も、アイヌ語で「清い水たまりのある場所」を意味する「ルココ、ツイ」から転じたと言われるが、アイヌ語からの転訛と聞くと、確かにそのような感じを受ける。大和勢力が東漸する遙か以前より、この仙北の地はエゾ、エミシと呼ばれた者たちの土地であったのだから。地ビールならぬ「地サイダー」で有名な「ニテコ清水」も同様に、アイヌ語の「ニタイ(森林)」と「コツ(水)」がなまったものという。
 以下、あまたある清水のうち、いくつか名前を挙げてみよう。
 座頭清水 米(よね)清水 宝門清水(マタコ清水)
 跳場(とびば)清水(久米清水) 下屋敷 清水 キャペコ清水
 御台所清水 御前清水 鷹匠清水 藤清水 紙漉座清水
 機織り清水  馬洗い清水 くるみ清水 瓢(ふくべ)清水
 柳清水 神清水  などなど数え上げればきりがない。
 ところで、先に「舟ッコ流し」のところで登場した伊勢堂川も、実は湧水が流れる、いわゆる「泉川」である。宝門清水、跳場清水など15の清水を集めて西流し、下流では貴重な灌漑用水となっている。
 夏は冷たく、冬温かい「シズ」は、生活水準が向上し、生活様式が変化した現在も、人々にとって欠かせない存在である(当地では清水を「シズ」または「シジ」と呼ぶ)。清水には石や板の小さな橋が架かり、飲用は上手(かみて)、洗濯などは下手(しもて)で使うという不文律が、いまなお住民の間で守られている。上水道の普及率6.7パーセントという数字は、秋田県で最下位であるが、この数字こそが、六郷の水の豊かさを雄弁に物語っているといえよう。


Photo:Tadahisa Sakurai

舟ッコ流しが行なわれる伊勢堂川は、宝門清水、跳場清水など15の清水を集めて流れる「泉川」である。下流では貴重な灌漑用水となっている

 最近、清水の恩恵を当然のごとくに享受してきた住民のあいだからも、枯渇や汚染に対する危機意識が高まってきた。子供会、町内会による浄化活動や清掃活動、お年寄りによる周辺 の花壇作りなど、さまざまな環境整備が行なわれている。名水の町の看板も、当分は安泰であろう。
 The Rokugo springs became nationally famous after they were chosen for one of "100 Exquisite and Well-conserved Waters" in Japan. They have already been described in detail by Sugae Masumi, who was a travel writer in the Edo period and left an achievement as a folklorist. Cold in summer and warm in winter, the springs are still indispensable to local people even now, living a modern lifestyle. The lowest rate of households using city water in Akita is evidence of this in Rokugo. Recently, town people, who have taken the use of spring water for granted, have finally begun to recognize the danger of the springs drying up or water pollution. Purification and clean-up work has been implemented and the environment has slowly improved.


Photo:Gensaku Izumiya

「御台所清水」は、かつて佐竹藩主が宿泊した旅館が使用したことから名付けられた