ブナ林帯文化とは


Photo:Gensaku Izumiya  ブナの若芽

 日本列島は、面積に比べて南北に広く、「モンスーン的風土」(和辻哲郎)としてひと括りにするには少々難がある。樹相の分布をみても、照葉樹林は日本列島の西半分を中心に分布し、東日本の大半は、ブナに代表される落葉広葉樹林が占めている。それゆえ、日本の文化総体を「照葉樹林文化論」だけで解読することには、むりが生じるのである。
 日本の中央高地から東北・北海道南部にかけて広がるブナ林帯には、縄文時代以来、独自の農耕文化・生活文化が営まれてきた。米の代わりにヒエ、アワ、キビ、ソバなどの雑穀を栽培し、ダイコン、カブを植えた。また、馬を主体とする畜産の技術もあった。照葉樹林文化を基盤とする大和政権が東漸するまで、まったく異なる文化が花開いていたのだ。
 ブナやナラは建築・家具・道具類の用材、燃料材にとどまらず、その森林は水源涵養林としての機能を果たした。また、繊維作物として大麻を栽培し、シナノキからは科布を織り、チシマザサで竹細工を作った。ゼンマイなどの山菜、キノコなどは食糧源となった。 さらに木々の実は人間ばかりか森に棲む動物たちの食糧ともなり、かくして狩猟による収穫は増加し、農耕に頼らない生活が可能であった。

「ブナ」がつく地名(秋田県内)
地 名 標高(m) 所在地
ブナ森 1.150 田沢湖町・鹿角市
椈 森  971 田沢湖町
椈 沢  600 田沢湖町
椈 森 1.016 阿仁町
椈 森 1.156 田沢湖町
椈 森  887 西木町・角館町
椈 山  463 山内村
椈 淵  280 鳥海村

斎藤功「ブナ材利用の変遷」『ブナ林帯文化』を参照して作成







 東北地方には、エミシと呼ばれた人々による地方政権がヒエ・アワ、馬、砂金、製鉄などの産業を持ち、きわめて地方色の濃いブナ林帯の文化を確立していた。しかし、東北最期の覇者・藤原氏の滅亡で、次第に稲作主体の照葉樹林文化に組み込まれていったのである。近年に至るまで、日本では稲作を中心とする弥生的文化観が支配的であった。あらゆる価値基準が 照葉樹林文化のなかに置かれ、ながらく東日本のブナ林帯(縄文的文化圏)は僻地とみなされてきた。しかし最近の研究では、従来、弥生時代以降と考えられてきた作物栽培が、すでに縄文時代にも行なわれていたことが明らかになった。また、青森県・三内丸山遺跡の発見や秋田県・池内遺跡などの発掘調査によってさまざまな新発見がなされ、これまでの縄文観は劇的ともいえる変化を遂げた。